入寮式記念講演レポート:笹倉信行先生が読み解く「川・用水・街道から見た江戸・東京」
講演概要
- 講師
- 笹倉 信行先生
- 演題
- 「川・用水・街道から見た江戸・東京」
- 会場
- 富山県学生寮食堂
- 日時
- 2026年4月5日 入寮式第1部
- 進行補助
- 新井 英一 氏(CdeF)
東京は「水の地図」で読める
川筋、崖線、湧水を手がかりにすると、駅名や町名の背景にある地形の論理が見えてきます。
江戸は上水で成り立った都市
神田上水や玉川上水は、巨大都市を支えたインフラであり、制度と生活の歴史でもありました。
足元の府中にも古道の層がある
寮の前を通る人見街道も、府中という土地の長い交通史を受け継ぐ道として語られました。
4月5日、富山県学生寮食堂で行われた入寮式第1部の記念講演では、「川・街道から見たまち研究所」代表の笹倉信行先生をお迎えし、「川・用水・街道から見た江戸・東京」をテーマにお話しいただきました。アシスタントの新井英一氏(CdeF)のサポートのもとで進んだ講演は、地図や写真を使いながら、私たちが日々歩いている東京の街を、川の流れ、湧水、用水路、街道の重なりから読み解いていく濃密な内容でした。駅名や町名として親しんでいる言葉の背後に、かつての水の道や人の道が幾層にも潜んでいることが、次々と明らかになっていきました。
約60年ぶりに青雲寮へ戻った講師が、新入寮生に手渡した「街を見る目」
講演の冒頭、笹倉先生は「ちょうど60年ほど前にこの寮に入った」と振り返り、会場に集まった新入寮生たちに向けて、当時17歳から18歳になろうとしていた頃の感覚に戻って話したいと語られました。これから新しい生活を始める寮生の前で、単に知識を披露するのではなく、自分もまたかつて同じ場所から出発した一人であるという立場をまず示したことで、講演は最初から温かさと説得力を帯びました。
話題はまず、先生ご自身の趣味の歩みから始まります。学生時代にはギターに夢中になり、社会人になってからは山登りや自転車での川沿い・街道探訪へと関心が広がっていったそうです。一見すると私的な思い出話のようですが、実際にはこの導入が講演全体の土台になっていました。目の前の興味を自分の足で掘り下げ続けると、やがて街の見え方が変わり、仕事や人との出会いまで変わっていく。その実感が、柔らかな言葉の中にはっきりと通っていました。
とくに印象に残ったのは、趣味が偶然の寄り道ではなく、時間をかけて都市を読み解く方法へと育っていったことです。ギターは人とのつながりを広げ、山歩きは地形に対する身体感覚を鍛え、自転車で川や道を追いかける習慣は、街の成り立ちを現地で確かめる姿勢につながったといいます。新入寮生にとっても、これからの学生生活で何に夢中になるかが、将来どんな視点を持つかに直結することを感じさせる導入でした。
講師プロフィール
- 1948年、富山市生まれ。富山高等学校を経て東京大学法学部を卒業し、日本電信電話公社に入社。
- 1977年にカリフォルニア大学バークレー校ビジネススクールを修了し、人事労務、制度改定、関連会社再編などに従事。
- 2013年、NTTタウンページ株式会社社長を最後に退社。
- 1995年に『金沢用水散歩』を出版。2001年から金沢まち博、2004年以降はNPO法人DANの会などで川や街道の講座を継続。
- 現在は「川・街道から見たまち研究所」代表として、土地の歴史を歩いて読み解く活動を続けておられます。
東京はまず「川の都市」だった。武蔵野台地と湧水から見える街の骨格
本編は、武蔵野台地の成り立ちから始まりました。いまの東京を平面的な都市地図として見るのではなく、まずは多摩川が長い時間をかけてつくってきた地形として捉え直すところから、笹倉先生の話は出発しました。かつて多摩川は現在のように一筋で流れていたわけではなく、広い範囲を河川敷として流路を変えながら台地を削り、残し、陸地を形づくっていったといいます。そうしてできた武蔵野台地や立川面の違いが、現在の街の高低差や水の出方に大きく影響しているという説明は、東京を「最初から都市だった場所」としてではなく、「水がつくった地形の上に育った都市」として見せるものでした。
そこで鍵になるのが湧水です。武蔵野台地では地下水が流れ続けており、標高およそ50メートル前後の地点で表に出てくることが多いそうです。井の頭池、善福寺池、三宝寺池、神代寺周辺の湧水、お鷹の道の流れなど、東京西部で親しまれている水辺の多くが、この条件と結びついていると説明されました。公園や緑地として見ていた場所が、実は地下を流れてきた水の出口だったと気づくと、東京の景色は一気に生き物のような輪郭を持ち始めます。
地名は過去の地形をしまい込んだ記憶の容器だった
講演で繰り返し示されたのは、地名の面白さでした。荻窪、阿佐ヶ谷、渋谷、千駄ヶ谷、池袋、沼袋、下落合、富ヶ谷、神泉といった、普段は駅名や住所として受け取っている言葉の多くが、窪地、谷、湧水、蛇行した川筋、川と川の合流点などと結びついているといいます。単なる語源紹介ではなく、川の流れや地図上の位置関係と重ねながら一つずつ説明が進んだため、聞き手の頭の中では地名が静止した文字ではなく、地形のイメージとして立ち上がっていきました。
とりわけ興味深かったのは、いまは川が見えなくても、道の曲がり方や地名の残り方が過去を教えてくれるという視点です。都市化の過程で多くの川は暗渠となり、道路の下へと消えていきました。それでも、緩やかに蛇行する道路、不自然な窪み、唐突に現れる「橋」の名前などには、かつてそこに水が流れていた気配が残っています。東京の街は新しい建物に覆われていますが、完全に上書きされたわけではない。その下に、古い地形の論理がいまも静かに息づいていることが、講演を通じて次第にはっきりしてきました。
武蔵野台地、崖線、湧水の位置を押さえると、川の生まれ方が見えてきます。
石神井川、神田川、渋谷川、目黒川、野川などを追うと、街の高低差と地名がつながります。
神田上水や玉川上水は、巨大都市・江戸の暮らしと産業を支える血流でした。
古代官道、中世の鎌倉街道、近世の甲州街道が、現在の道路網の下層をつくっています。
石神井川、神田川、渋谷川、目黒川、野川。東京の川は街の輪郭そのものだった
笹倉先生は、石神井川、神田川、渋谷川・古川、目黒川、立会川、呑川、野川と、東京を形づくってきた川を次々に紹介してくださいました。話の軸になっていたのは、川そのものだけでなく、川がつくった地名と街の起伏です。神田川では、井の頭池から始まる本流に善福寺川や妙正寺川が合流し、「落合」という地名が川と川の落ち合う場所に由来することが語られました。渋谷川の説明では、新宿御苑の水系、明治神宮の湧水、竹下通りの下を流れていた川筋などが紹介され、いま最先端の繁華街として見ている場所の足元にも、水の論理がしっかり残っていることが示されました。
目黒川のくだりでは、烏山川、北沢川、駒場川が合流し、大きな池を経て海へ向かう流れが説明されました。そこから「池尻」という地名が、まさに池の端に由来していることも紹介されます。名前の意味が分かると、地名はただのラベルではなく、景観の説明文に変わります。東京の坂道や谷、駅の位置までが、近代の都市計画だけで決まったわけではなく、古い川筋との折り合いの中で形づくられてきたことがよく伝わる時間でした。
江戸は「水を引けるかどうか」で成り立ちが決まる都市だった
川の話から用水の話へ移ると、講演の視点は一気に都市経営へと広がりました。徳川家康が江戸に入ったとき、真っ先に直面した問題の一つが飲み水の確保だったそうです。海に近く、井戸を掘っても塩気が出やすい低地と、深く掘らなければならない高地が入り交じる江戸では、人々の暮らしを支えるには大規模な上水の整備が不可欠でした。そこで登場するのが神田上水、そして玉川上水です。
羽村の取水口から四谷大木戸まで引かれた玉川上水のスケール、その先で青山上水、三田上水、千川上水、品川用水などへと枝分かれしていく仕組みが、地図を使って丁寧に解説されました。ここで印象的だったのは、「上水」と「用水」を言葉の上でも用途の上でもきちんと分けて考える先生の整理でした。町人の飲み水に使うものが上水で、農業や別の生活用途に回るものが用水です。同じ水でも、どこへ届け、どう使い、どう維持するかで意味が変わる。その説明からは、江戸の水道が単なる土木技術ではなく、制度と生活文化の歴史でもあったことが見えてきました。
さらに、利用者が身分や家の間口に応じて費用を負担していたという話からは、インフラはいつの時代も誰かの見えない努力と負担で支えられていることが伝わってきます。いま私たちが当たり前のように水を使えることも、結局は歴史の延長線上にあるのだと実感させられる場面でした。
街道は国家の神経であり、同時に暮らしの道でもあった
講演後半のもう一つの軸は街道でした。古代の東山道武蔵路に始まり、武蔵国が東海道に組み込まれてからの官道、中世の鎌倉街道、そして近世の甲州街道や青梅街道へと、東京の骨格がどのように形づくられてきたのかが立体的に示されました。年代だけを並べる説明ではなく、現在の道路や地名と重ねながら話が進んだため、古代の官道が急に遠い世界のものではなくなります。いま目白通りと呼ばれる道、いま外苑東通りと呼ばれる道、いま人見街道と呼ばれる道が、それぞれ何のために整えられ、どこへ向かっていたのかが、一本の流れとしてつながっていきました。
道は単なる移動のための線ではありません。どこに宿場が置かれ、どこに関所が置かれ、どこを通って人や物資や情報が動いたのか。その組み合わせ自体が都市の性格を決めます。講演を聞いていると、東京という街は鉄道網ができて初めて成立したのではなく、それよりはるか前から、政治と物流と生活の必要の中で道が選ばれ、曲がり、積み重なってきた場所なのだということがよく分かりました。
寮の前を通る人見街道が、府中を「ただの生活圏」から「歴史の結節点」へ変えた
この日の講演で、寮生にとってとりわけ身近だったのは、人見街道をめぐるくだりだったはずです。笹倉先生は、いま寮の前を通っているこの道が、府中という武蔵国府の歴史と深くつながる古い交通路の流れをくんでいることを、地図とともに丁寧に説明されました。府中には国府があり、その東側には官庁街にあたる空間があり、周辺には古代から近世までの道が幾重にも重なっています。品川街道、甲州街道、小金井街道、鎌倉街道など、いま別々に見える道が、それぞれ異なる時代の交通体系を背負っているという話は、府中という土地の奥行きを一気に引き上げました。
毎日何気なく通っている道が、ただの生活道路ではなく、長い時間を背負った歴史の通り道だったと知る。その驚きは、会場にいた寮生たちにとって大きかったと思います。しかも先生は、それを難しい概念のまま終わらせず、「いつか人見街道を自転車でたどってみてください」と呼びかけるように語られました。知識が地図の中で終わらず、実際に歩いたり走ったりして確かめたくなる形で差し出されていたところに、この講演の魅力がありました。
土地の歴史を知ることは、防災の感覚を取り戻すことでもある
講演の終盤で特に印象に残ったのは、地名や地形の知識がそのまま防災の知恵につながるという指摘でした。中河原、下河原、分倍河原といった地名には、かつて河原や中州、氾濫原だった土地の記憶が残っている可能性があること。逆に「島」の付く地名や、寺社が置かれてきた場所には、先人たちが比較的安全な場所として選んだ痕跡が含まれているかもしれないこと。こうした話は、歴史を面白く学ぶだけでなく、いま自分たちがどんな土地に暮らしているのかを知る大切さに直結していました。
再開発が進み、風景がどんどん塗り替えられていく東京では、土地のもともとの姿を忘れがちです。しかし、地名はそう簡単には消えません。むしろ、地名や寺社の位置、道のうねりを読むことで、土地の履歴は現在にも十分たどれる。過去を知ることが、そのまま未来の安全にもつながるというメッセージは、入寮したばかりの学生にとっても切実な学びだったと思います。
質疑で示された「街歩きの読み方」
- 地名を見る。現在の町名だけでなく、旧町名や字名にも地形の記憶が残っています。
- 道路の蛇行を見る。不自然に曲がる道は、昔の川筋である可能性があります。
- 橋の名を見る。川が見えなくなっていても、橋の名前だけが残っていることがあります。
- 神社の位置を見る。水との結びつきが深く、湧水や流れの近くに立つ例が少なくありません。
質疑応答と謝辞が、講演を「自分で確かめに行く学び」へ変えた
質疑応答では、寮生から「現在の街の形の中で、昔の川筋や谷地形を読み取るには、どこに注目するとよいのか」という問いが投げかけられました。これに対し笹倉先生は、まず地名に注目することを挙げたうえで、蛇行する道路、橋の名、神社の位置など、実際の街歩きで使える視点を具体的に示してくださいました。学問の話をそのまま日常の観察に置き換える答えで、聞いている側も「次に歩くときはここを見よう」と自然に思える内容でした。
続く謝辞では、寮生代表が、東京の地名が川や街道と結びついていることへの驚きと、青雲寮のすぐそばに古代の道があったという発見の大きさに触れました。いま暮らしている場所そのものの見え方が変わったこと、時間のあるときに友人と一緒に実際の街を歩いてみたいと感じたことが率直に語られ、講演の余韻が会場に深く残っていることが伝わってきました。
東京は完成された都市ではなく、いまも読み解き続けることのできる都市だった
今回の記念講演は、東京という巨大都市を、鉄道網や再開発の地図ではなく、川、湧水、用水、街道、地名という長い時間の積み重ねから見直す貴重な機会になりました。見えなくなった川も、埋められた用水も、役割を変えた古道も、完全に消えてしまったわけではありません。道の曲がり方に残り、坂のつき方に残り、地名に残り、人の暮らしの配置に残っています。だからこそ東京は、ただ便利に使うだけの都市ではなく、読み解き続けることのできる都市なのだと感じさせられました。
約60年前に青雲寮で暮らし、この場所から社会へ踏み出した笹倉先生が、長年の仕事と探究を経て、ふたたび寮生たちにその視点を手渡してくださったことには深い意味があります。新たな生活を始める入寮生にとって、いま自分が立っている土地を知ることは、これからの暮らしに足場を持つことでもあります。街を見る目が変われば、日常の密度も変わります。会場を包んだ拍手は、講演の内容の豊かさへの感謝であると同時に、自分たちの足元の街が急に奥行きを持ち始めたことへの驚きの表れでもあったように思います。
笹倉先生、そして進行を支えてくださった新井英一氏に、心より御礼申し上げます。これから東京で学び、暮らしていく寮生にとって、街を歩くことそのものが学びになると実感できる記念講演でした。